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コーチ [6_その他]

ブログで時々、出てくるコーチはこんな感じ。

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笛のように吸い口があり、ここから息を吸い込むとシリンダのゲージが上がっていく仕組み。

全身麻酔で落ちた肺の機能回復と呼吸器系の合併症の予防のため、1セット70回、1日5セットほど入院中はコーチをやった。

病院食 [6_その他]

ちなみに病院の食事はこんな感じ。

写真 2.JPG

写真は10日間ほど絶食の後の流動食で感慨深いものがある。

この後、三分粥、五分粥、全粥と徐々にお米の量も増えて、形もしっかりしたものになっていく。

五分粥からはおかずは普通のおかずとなる。

膵頭十二指腸切除の場合、脂っこいものがだめなので、食事は膵胆食という脂を落とした食事になる。たとえば、鯖の塩焼きなども一度、蒸して脂を十分に落としたものを塩焼きにするのでかなりパサパサな感じになってしまう。

11/17~23 術後第2週目 [5_術後]

術後第2週目です。

11/17(月) 術後7日目
手術からちょうど1週間。先週はだいぶつらかったが、急速に状態回復。

朝起きると熱は36.5度で平熱に下がった。朝食がないので、すいている8時台にレントゲンを済ませる。
その後、回診。血液検査の結果から炎症が残っているとのこと。CRPの値が高いらしい。消化液が漏れていることが推測されるので、午後にでも腹部エコーで診察して、針?で腹水を抜くらしい。ただ、この日は特に処置はなし。

午後は手術後初めての洗髪。お風呂場の脇の洗髪コーナーで看護師さんに洗髪してもらう。プロの美容師ではないので、ちょっと至らない点はあるものの、気分爽快!

ついでにバルーン(尿道に入れているカテーテル)も抜けいてもらう。抜くとき痛そうだが、息をふっと吐いている瞬間にベテランの看護師さんが早業ですぽっとバルーンを抜いてもらう。バルーンがないのでトイレには自力でいかないといけないが、だいぶ身軽になった。早速、尿意はそんなにないが、トイレに行くと約0.5リットルの尿が出てびっくりした。この日から尿の量も計測することになる。

1日でだいぶ、退院に向けて進んだ感じがした。ただ、食事はまだ。

11/18(火) 術後8日目
ずっと、フェンタニルという痛み止めを入れているので、意識は軽く朦朧としているものの、だいぶ余裕が出てきた。朝の看護師さんのバイタルチェックのときに術後初めて雑談をする。それまでほとんどお話ができない状態だったのだが、担当の方から「ヒコーキ雲さんって、歯医者さんなんですってね?」と質問を受ける。ちなみにただのサラリーマンなのだが。

しゃべれないから、ナースセンターで変な方向で話が盛り上がった(?)模様。その後、誤解を解く。


午後、いよいよ腹水を抜く。お昼過ぎにレントゲン室に呼ばれ、実質的な主治医のK先生に処置をしてもらう。処置は右わき腹に局所麻酔をうって、レントゲンをとりつつ。針金みたいなのをガイドにして、肝臓下付近のたまりにチューブを入れて、たまっている腹水を除くというもの。腹部ドレンを挿入してもらう。

これが結構つらい。研修医に説明しながら処置をするので、早く済ませて欲しいのだがとりあえず時間がかかる。痛みは麻酔が効いているからないものの、ぐりぐり針金をお腹にねじ込む感覚があるので、痛く感じる。1.5時間ほどで処置完了。ドレンからは茶緑の液体が出てる模様。これでお腹からの管は3本に!

病室に戻ると、1週間ぶりのシーツ交換。汗とか、いろんな液漏れで結構どろどろ状態だったので、かなり快適になる。ただ、その後、腹部ドレンを入れた反動か38度ほど熱が出て、ふたたびダウン。

11/19(水) 術後9日目
朝起きると、左腕に入れていた点滴(末梢)で腕がぱんぱんになり、点滴が入らない状態になる。仕方なく、看護師さんに点滴を抜いてもらう。かなり大量に点滴液を入れるのだが、血管が細いからか、液が入らないようだ。

午前中は准教授の回診がある。一応、現場のトップなのでいつから食事が再開か聞いてみる。この先生、胃非常に渡辺いっけいに似ており、「う~ん、どうかな。もうちょっと様子見たいかな」というあいまいな返事をもらってしまう。この辺まで来ると本人的には食事なしでも大丈夫なのだが、家族がとても心配する。

午後、やや辛口の対応のG先生にピック(カテーテル)を上腕部に入れてもらう。上腕部からカテーテルを入れて、肩を通って心臓部に近い太い血管にまで持っていく。これだと、末梢よりだいぶ強力な点滴液を入れれるとのこと。通常はレントゲン室で処置をするのだが、空いていないとのことで、比較的すいている病室のベッドで処置してもらう。

ピックはまずまず快適。だいぶ余裕が出てきたので、夕方嫁に男性ファッション誌を買ってきてもらう。退院したら買いたいコートを物色する。

11/20(木) 術後10日目
体重を測定すると66.2Kgで術後2Kgの減。10日間点滴のみの割にはあまり減ってない。

午前の回診はまたも准教授。お昼から食事を再開しましょう、とのことで、重湯の朝食を取る。基本的に流動食だが、味と形はそれなりに通常の食事風にしているので、なかなかいける。
ちなみに主食は重湯→三分粥→五分粥→全粥と進展していき、基本的には全粥までいけるとほぼ退院できる状態となる。今は1合目くらいだ。

11/21(金) 術後11日目
午前中、レントゲンを撮影。どうも胃と大腸の張りが問題らしい。ちなみにレントゲン室で膵管チューブという大事な管が抜けるハプニング。一応、事故らしく担当看護師が師長に怒られていた。この後、外れないようにいろいろ対策をしてもらう。

食事は三分粥に移行。おかずに湯豆腐が出て、おいしかった。

11/22(土) 術後12日目
昼から五分粥になる。三分粥までは流動食風のおかずだが、五分粥からおかずは普通のおかずになる。おかずの野菜炒めがおいしかった。
午前の回診でお腹から三本出ている管のうち、ウィンスローという管を抜いてもらう。あと、2本抜けると退院だ!

11/23(日) 術後13日目
世間は3連休で、ここのお医者さんたちは学会らしく、かなり静か。
フェンタニルという痛み止めもほとんど使ってないので、かなり意識もクリアで、発話も術後はしどろもどろだったが、ほぼ通常のスピードでしゃべれるようになった。2日に1回ほど見舞いに来る嫁もだいぶほっとしたよう。

晩、ロビーのテレビで恒例の大相撲を見る。白鳳の優勝を見届けてから、実家に電話を入れる。元気な声を聞いて、だいぶ両親も安心した模様。

当初は2週間での退院を目指していたが、気持ちを切り替えて今月中の退院を目指すことにする。


11/12~16 術後第1週目 [5_術後]

ここからは退院まで結構あるので、スピードアップのためまとめて書くことにします。

11/12(水) 術後2日目
この日は午前中に一般病棟へ移動。同じく消化器外科が入る13FにHCUから移る初老の患者さんと移動。この患者さんは点滴台に点滴のみというかなり身軽な格好で、歩いて病棟に戻っていた。一方、私は車椅子に酸素ボンベ、点滴の他に機材が5つほどというかなりの重装備。

病棟は手術前と同じ大部屋。ただ、3列ベッドが並んだ真ん中でかなり狭い。帰って早々にお医者さんの回診あり。医師団で痛みの原因をいろいろ議論していた。2本お腹から出ていたうちのRDBDという管の廃液を紙コップに入れて、あたかもコーヒーのテイスティングをするみたいにお医者さんが匂いをチェック。緑色のような茶色のような液体で、とりあえず検査に回された。

回診のついでに背中に入っていた、痛み止めの管を抜いてもらう。状態はよくないが、退院に向けて1歩前進した気持ちだ。

午後は歩行訓練。歩かないと腸閉塞など合併症になりますよ、と看護師さんに諭されて、がんばって1週80mほどの病棟の回廊を2週ほど歩く。ただ、看護師さんはHCUと違って、とってもやさしい。

後で聞いた話だが、この時、1週歩くのに30分以上かかっていたとのこと。あと、看護師さんは入院初日に受け持っていただいた、とてもチャーミングなMさんだったそうだが、記憶0。

つらい時の記憶は忘れ去られやすいようだ。

この日も痛みがひどくてあまり寝られず。

11/13(木) 術後3日目
午前中、CTを撮影。

実質、術後の主治医のK先生から、このままだと腸閉塞で再手術もあるので、がんばって歩いてください、との説明を受ける。かなり痛いががんばって病棟を歩く。

お腹がいたく、ほとんど寝られず。

11/14(金) 術後4日目
午前中、レントゲン等の検査をしてもらう。どうも腹膜炎を発症している、とのことで、お腹を動かす薬と抗生物質を点滴から入れてもらう。

強い薬だったようで、反動でか39度ほど熱が出る。強い寒気がする。

熱源が分からないので、首に刺していたCVを抜いて、末梢で点滴を入れてもらうことにする。首から点滴の管が出てるとかなり煩わしいので、だいぶ助かった。

頭に氷枕、体には枕カバーに熱いお絞りを入れたものを当ててもらって、無事熱が下がる。
この日の夕方から飲み物は解禁となったが、状態が悪くほとんど水も飲めず。

月曜日からほとんど寝れてないので、看護師さんと相談の上、この日から睡眠導入剤を寝る前に点滴で入れてもらうことにする。

なんとか寝られた。

11/15(土) 術後5日目
引き続きこの日も絶食。

かなり喉が渇いていたので、ペットボトルのキャップ1杯分くらいの水をごくっと飲んだら、むせて死にそうになる。結構、水を飲むのも苦労する。

そこそこ寝られて、熱も下がって、体調もだいぶよくなったので、手術後初めてシャンプーで頭を洗ってもらう。ICUからずっと同じオムツをつけていたのだが、やっと普通のパンツをはけて、だいぶ快適になった。

ただ、微熱は続いている。

11/16(日) 術後6日目
朝の回診。膵臓周りの炎症による発熱とのこと。どうも、胆管あたりから胆汁が漏れてお腹にたまっているようで、エコーで見てから腹水を抜くかも、とのこと。食事の再開について質問すると、今の状態で食事をすると
胆汁が漏れるので、当面は無理とのこと。

体調はだいぶ回復したので、会社にメールで状況を報告しておく。ただ、腹筋に力を入れると激痛なので、ベッドの上での姿勢は仰向けで、寝返りなどはうてない。

1週間食事を抜くと、目をつむっても、食べ物が頭に浮かぶのでかなりつらい。お腹いっぱいチョコレートケーキをためる夢を見た。

11/11 術後1日目(HCU) [5_術後]

11/11(火)、術後1日目。

痛みで昨晩はほとんど寝られず。

午前中はICUからHCU(High Care Unit)に移動。HCUもふたたび個室でなかなかラッキー。

痛みが強いので、午前中の回診で医者に言ってみた。焼けるような痛みか?、と聞かれたので、膵液漏れを疑っているようだが、そんな感じではないので、違うと答える。どこかの吻合が甘いようで、消化液が漏れてる模様。

とりあえず、サンドスタチンというモルヒネよりかなり強力な痛み止めを入れてもらう。

その後、腹部と胸部のレントゲン撮影。レントゲン室には移動できないので、介護用ベッドを平らにして、背中に板のようなものを入れて、可動式のレントゲン撮影機で撮影。お腹を切ると、とりあえず平らなところで寝たりできない、傷口が開くような感じで、かなりの激痛が走る。この日以降、ほぼ毎日レントゲン撮影が入るのだが、かなりの苦行だった。

絶飲食なので、食事はなし。午後はコーチと歩行訓練。歩行訓練は50mほどの廊下を3往復するのだが、1往復で断念。HCUの看護師さんはかなり怖い方で、晩しっかりやってください、と怒られる。歩行訓練の合間に体重測定をしたが、なぜか69Kgで術前の体重より微増。

晩はふたたび歩行訓練で廊下をきっちり3往復。もちろん健康だとぜんぜん問題ないのだが、手術の傷の痛みだけでなく、全身麻酔をすると肺がぺっちゃんこに萎み、酸素マスクがないとほとんど息が吸えない。歩行訓練では、血中酸素濃度SpO2をモニターしながら歩くのだが、ほとんど富士山の頂上を歩いているような酸素濃度で、かなりふらふらの状態。

その後、就寝。やはり痛みで、あまり熟睡できず。

11/10 手術当日(手術後~ICU) [4_手術]

手術台の上で寝ていると、ぽんぽんと肩をたたかれて、「終わりましたよ!」と声をかけられる。

夢から覚めると、まだ手術台の上で麻酔科医にふたたび声をかけられた。おそらく無事手術は終わったようだ。

起こされたときの状態は意外なことにまっ裸。下は弾性ストッキングのみという格好だ。まずはT型パンツというふんどし風のオムツを着せられて、入院中も着ていた甚平型の寝巻きを着せてもらう。

手術直後に思ったことは思ったより、手術したおなかが痛い、ということだ。事前の説明では麻酔が切れるとすぐに痛み止めを入れます、とのことだったのだが、がまんできる限界を超えたくらいの痛さだ。

着替えが終わると手術台からストレッチャーに移動。スタッフに声をかけれそうなタイミングだったので、「痛み止め入ってますか?」と聞いてみる。ちなみにこれが手術後の第一声だ。入ってます、との回答だったが、あまり効いてないと判断したのか、痛み止めを倍量に変更してもらう。

ICUは手術室と同じフロアなので移動はすぐだ。入院棟は大部屋だったがここは1人部屋でスペースもたっぷりある。ICUのベッドに移され、しばし家族を待つ。

19時過ぎに家族が合流。手術時間は6時間程度だった模様。

ちなみにベッド上での状態は、酸素マスクに両腕に血圧や血中酸素濃度を測る機器、お腹と背中に管が4本ほど、あと、心電図のコードとほとんど身動きできない状態だ。

20時過ぎまで家族と面会し、その後消灯。ただ、とにかく痛くて眠れなかった。

11/10 手術当日(手術) [4_手術]

車椅子で手術室の前まで行くと、自動ドアが開く。

手術室は以外と天井は低く、特に中2階の見学フロアみたいなものもなく、機材と、手術台、天井にはLEDの手術用のとても明るい照明が設置されている。

入り口からは、手術台まではふたたび歩いて移動する。なんともいえない緊張感だ。

手術台は以外と小さく、肩幅ぎりぎりで、寝返りをしたら落ちそうな感じだ。気持ち的には1秒でも早く全身麻酔で寝かせてほしいのだが、ここからが以外と長い。

患者本人に氏名の確認をしたあと、医者同士で手術のチェックリストを1つ1つ確認していく。術式、輸血の有無など。

10分ほど待った後、いよいよ麻酔科医の指示で全身麻酔に向けて処置を開始する。今回は硬膜外麻酔という背中に管を入れるタイプの麻酔をする。横向きに寝かされると、まずは背中の消毒をする。

なるべく無心でいたいのだが、麻酔科医はいちいち、アルコールのかぶれありませんか?とかテープは大丈夫ですか?と聞いてくる。何回か返事をした後、いよいよアルコール綿で背中の消毒。

背中全体をとても丁寧に3回、消毒をする。その後、まずは局所麻酔の注射をする。ここで背中の感覚がなくなる。おそらく、背中に硬膜外麻酔の管のセットをしていると思われる。

いつの間にか気を失うように寝てしまう。その後、とても長い夢をみた。北海道のような感じのなだらなか緑の岡の上を人々がパレードをしている夢だ。特に登場人物もなく、同じシーンを繰り返し見ていたような気がする。。。

11/10 手術当日(~手術前) [4_手術]

11月10日(月)、いよいよ手術当日。

妻と田舎から父親が来ることになっている。

その日は6時起床。昨晩から絶飲食に入っているので、飲み物も飲むことができない。朝食もないので、かなり手持ち無沙汰な感じだ。

朝10時前、予定より少し早く、妻と父親が病室に来た。

手術後はそのままICUに行くため、まずは荷物の整理を行う。ICUに持っていけるものはメガネ、歯磨きセット、パンツの替え1枚、コーチ(呼吸練習器)、それと箱テッィシュのみ。それ以外は貴重品は妻に渡して、後はキャリーバッグにしまって、ナースステーションに預ける。

その後、担当の看護師さんに昨日つけてもらったCV経由で点滴をセットしてもらう。点滴台を押しながら歩かなくていけないので、結構大変だ。ちなみに担当はOさんという男の看護師だった。

あとは手術室から呼ばれるのを待つのみで、親と妻が待っているロビーに合流する。手術の時間は順調だとお昼過ぎとのこと。だいぶ時間はあるが、3人の会話はあまり弾まない。父親の顔を久しぶりに見ると、安心して涙が出てきた。

11時前、予定よりも早く、手術室から呼ばれる。Oさんから、呼ばれたので準備をお願いします、と声をかけられる。手術中は姿勢が固定されて、いわゆるエコノミー症候群になりやすいので、弾性ストッキングという白いタイツを履く。このタイツがきつくてなかなか履けない。

タイツをはき終わると、Oさん、父、妻、私の3人でとなりの病棟の手術室に向かう。さすがに無言だが、看護師のOさんは慣れているので、普段どおりの振舞いでとても心強かった。手術室はとなりの病棟の6F。エレベータホールで看護師、家族と別れる。次に会うのは手術、ICUだ。

ちなみにドラマだとストレッチャーに寝かされて手術室に向かうシーンをよく見るが、普通に歩いて手術フロアまで移動。手術フロアに到着すると、手術室担当の看護師さんにバトンタッチ、受付を済ませると、頭にネットをかぶせられて、車椅子に座って待機する。

5分ほど待つといよいよ手術室に車椅子で移動する。手術フロアはなんともいえない緊張感がただよっている。。

11/9 手術前日 [3_入院]

11月9日(日)、いよいよ手術の前日。

いよいよ手術の前日だ。手術自体はお医者さんに任せるしかないので、なるべく手術のことは考えずに無心で過ごすことをこころがける。

普段どおり、AM6:30頃に起床して、体温や血圧測定をして、朝食を済ませる。

朝の回診も日曜日だけあって、研修医風の先生しか来ないので軽く済ませる。ちなみに(他の病院走らないが)ここは土日祝もかかさず回診がある(ややめんどう)。

朝10時ころから徐々に手術の準備が入る。手術前最後のお風呂の日なので、シャワー室ではなく、湯船があるお風呂を11時頃に予約してもらう。

まずは、臍のごまをとってもらう。担当の看護師さんは若い女の子なのだが、ごま取りはベテランの看護師さんが担当する。ベッドに寝かさらた状態で綿棒2本とオリーブオイルを使って器用にへそのごまをとってくる。オリーブオイルですこしづつふやかしながら、2本の綿棒でごそっと、へそのごまをとる。小指大のかなり大きなごまが取れてしまった。家に持って帰りたかったが、テッィシュにくるまれゴミ箱行きに。。

その後はお風呂に入り、入念に体を洗う。

お昼前に執刀医のN先生が病室に来て、CVを挿入するのでベッドに寝てください、と指示される。よく分からないままに、ベッドに寝かされると、たたみ1畳くらいの大きな紙をかぶせられる。その紙はちょうど首のところに相当するところが透明になっていて、ようは簡易クリーンルームのようなものだ。

CVが何か良く分からないまま、局所麻酔をされて、太目の針を首の血管に挿入して、糸で縫いつける。プロの外科医だけあって、縫う作業はかなりの早業。ドラマのシーンとはぜんぜん違う。最後に保護用のシールを貼って、処置が完了する。看護師の補助もなく、10分ほどで終了。

ちなみにCVは首の太い血管から入れる、点滴の入り口のことで、明日の手術を控えて前日にセットをしておく。腕の血管から入れる点滴(末梢)よりは、強力な薬が入れれるらしい。つけっぱなしだと、CVはばいきんが入るので、術後1週間でとります、とのこと。首に大きな針がささっている状態なのでかなり動きずらい。

お昼でほぼ明日の手術の準備を完了したので、午後はゆっくり読書をする。アイサック・ニュートンのスティーブ・ジョブズの伝記を読む。

夕食後、大腸内視鏡検査と同じく、下剤と腸管洗浄剤をコップ1杯ほど飲む。10時就寝。

いよいよ明日は手術当日だ。

11/8 手術2日前 [3_入院]

11月8日(土)、入院してから初めての週末。

S病院では、毎週土曜日の朝、教授回診の日だ。朝にカンファレンスを行い、週明け月曜日の手術の方針が決まる。この日は、朝から教授回診で昼前に執刀医からの手術前の最後の説明がある大事な日だ。

ちなみに初めての教授回診は医療ドラマのような感じだ。始まる前にアナウンスがあり、患者は自分の病室で待つ。教授が准教授以下のスタッフを引き連れて各病床を回っていく。教授が一人ひとりの患者のベッドを回って、術後の状態を確認していく。

4人部屋で、一番入り口に近いところにいたので、最初に教授が来てしまう。初めての教授回診でどういう対応をしていいか分からなかったので、とりあえずベッドから立って挨拶しようとすると、寝たままで、と諭されてしまう。

手術週明けだよね、と教授から一声かけていただき、後はおなかを軽く触診して、何か納得した感じで次のベッドへ行ってしまう。まあ、手術前なので、特にチェックすることもないのだが、所要時間は約30秒。

その後、師長が病室に入ってきて、大部屋が空いたことを教えてくれた。この日までは4人部屋で6000円/日の差額ベッド代がかかっていた。大部屋は0円なので、今回のように入院期間が分からない場合は助かる。

少しして、ベッドとTV台を新しい部屋に移動させる。5人部屋は建物の北側なのでやや暗いが一人当たりのスペースは前の部屋よりちょっと広かった。よく分からない値付けだな、という印象。

11時ごろに医師からの説明を聞くために妻が合流する。朝のカンファレンスはドクターXで言うところの術前カンファレンスで、術式などが決まる。腹腔鏡で手術できるかどうか確定ではないのでとても重要だ。

お昼前に30台半ばのやや長髪の医師に呼ばれ、病室の脇にある小さな会議室に入る。この先生がN先生でこれからいろいろとお世話になる。手術については今まで聞いていた話を改めて説明をしてもらう。手術時間や入院期間を聞くと、6時間程度の手術で、入院期間も若いのでうまく1週間くらんかな、との回答。膵頭十二指腸切除は消化器系ではもっとも難しい部類に入るのだが、N先生曰く、今回の手術はそれほど難しくない、と自信満々の回答。

ちなみに十二指腸腫瘍も良性であれば、リンパ節郭清といってリンパの切除がないので、手術もそれほどシビアではなく、胃のまわりの感覚も、比較的術前と変わらないそう。術式は基本的には腹腔鏡だが、膵管回りは難しいので5cmほど回復して手術するとのこと。

あとは、手術の合併症について説明を受ける。簡単に言うと、肺炎みたいな呼吸器系と手術の縫うのがあまくて、消化液等がもれる吻合系があって、10近くピックアップして説明されてしまう。どこが、簡単な手術だ、とつっこみたくなる。

30分ほどで説明をする。ちなみに妻は、自信満々な態度と膵臓や胆嚢など難しい漢字をかなを使わずに書かれたところに妙に関心していた。

ちなみに切除するまで私は膵臓を漢字でかけなかった。

いよいよ明日は手術前日だ。次に家族に会うのも手術当日となる。

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